上杉の歴史と舞台芸術を合せ持つ
博物館・文化施設
伝国の杜 Denkoku-no-Mori

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Yonezawa City Uesugi Museum

九代目米沢藩主 上杉鷹山

「成せばなる 成さねばならぬ 何事も」 改革者の功績を振り返る



上杉鷹山

蚕(かいこ)のまゆ
蚕(かいこ)のまゆ

上杉鷹山は、宝暦元年(1751年)7月20日、日向国(ひゅうがのくに~宮崎県)高鍋藩主「秋月種美(たねみつ)」の次男として、江戸で生まれました(幼名「直松」)。母の「春姫」は、四代目米沢藩主「上杉綱憲(つなのり)」の孫娘でした。 宝暦10年(1760年)に八代目米沢藩主「上杉重定(しげさだ)」の養子となり、元服(成年の儀式)の際に名を「治憲(はるのり)」とします。翌年の明和4年(1767年)に、家督を継いで弱冠17歳で九代目米沢藩主となった治憲(鷹山)は、傾いた米沢藩を救うため、まず「大検約令」発し、役人の贅沢や無駄を正すことから、藩政改革への第一歩を踏み出します。 その後、農政を改革し、教育を進め、産業を発展させていくのですが、最も大きな産業開発は「織物業」で、置賜特産の青芋(あおそ)を原料とした縮織(ちぢみおり) に始まり、これらを基として養蚕(ようさん)・絹織物へと発展していきます。 鷹山という名前にしたのは、52歳からで、文化3年(1806年)には、56歳となった鷹山が「養蚕手引」を発行・配布します。文政5年(1822年)に72歳で死去しますが、生涯を米沢藩の人々のために尽した功績は、初代 上杉謙信と並んで後世に語り継がれています。

鷹山と関連の深い農作物

無年貢、貸付米で農民救済 百万本植立計画/蚕の餌 置賜特産/「縮織」の原料 百万本植立計画
米の稲穂 桑の葉 青芋(あおそ) 漆(うるし)


鷹山シアター (常設展示)

改革を指導し、成功に導いた九代藩主上杉鷹山については博物館の常設展示室でも多くのスペースをさいて紹介しています。また、その手法も俳優を起用してのドラマ仕立てのシアターや、壁に絵を描いたり、米沢織の最新技術で織物にしたグラフィック、当時の置賜地方や米沢城下をイメージしたジオラマ等、鷹山の改革をわかりやすく理解してもらうための工夫を凝らしています(シアターは約17分間、30分ごとに上映)。



鷹山シアター新作「上杉鷹山 ふたたびの改革」上映開始

3月29日(火)より、新規制作の「上杉鷹山 ふたたびの改革 ─現在(いま)に語りかける明君の生涯─」の上映を開始します(毎時00分より本作、30分より前作を上映)。
上杉鷹山の後半の改革を中心に、具体的な政策と成果、それを支えた人物を、資料の画像やアニメーションを交えてご紹介します。
ダイジェスト映像をYoutube にて公開中。

「克服への道」

タッチパネル画面のボタンを指で押しながら、鷹山の行った改革の詳しい解説を見る事ができます。

上杉鷹山をもっと詳しくお知りになりたい方は当館図録をどうぞ。

くわしくは当館ネットショップ(外部リンク)をご覧ください。

        
▲特別展「上杉鷹山-改革への道- 」  ▲特別展「上杉鷹山の生涯-藩政改革と家臣団- 」

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